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2017年6月10日 (土)

月瀬神社 前編

中間~平尾台 ドライブ その7

せっかく中間まで行くのだから・・・と、事前に中間市の観光紹介サイトをチェックしたんですが・・・

これが何もないんだ!(笑)Cimg3948

とりあえず・・・目をつけていた神社へ行くことにする。住宅街の中に忽然と現れる鳥居・・・

Cimg3949 11:40 月瀬神社

Cimg3950 Cimg3952

(右)神社を取り囲むように設けられた水路・・・これには訳がある!

牛も~も~!Cimg3954

Cimg3955 手水舎

Cimg3956 その先に伸びる長い長い階段

これにも訳がある。

階段の手前に木の枝やら葉っぱが散乱していますが・・・ちょうど剪定作業の真っ最中で、作業中のおじさんが「すみませんね~」と言っていた。

階段の途中のお稲荷さんCimg3957

Cimg3958 登りきった所

その横にある・・・石碑

猫城跡 Cimg3959

 猫城は、室町時代に麻生氏の端城として築かれたといわれ、その城跡には現在、月瀬八幡宮の社殿があります。
 城跡の丘陵は、高さ約20メートルの円錐状で、すそ野には水濠の名残りが見られます。
 山鹿城の麻生元重と宗像大宮司氏貞は、数度の合戦に及ぶも決着がつかず、天正6年(1578)、遠賀川の東は麻生領、西は宗像領となります。氏貞は家臣吉田倫行に雑兵150余人をつけ、猫城に配属します。
 天正8年5月、豊後の大友氏(立花道雪の説もあり)の司令を受けて、鷹取城主毛利鎮実が攻め込みますが、宗像勢は激戦の末、これを打ち破っています。頂上から、遥かに宗像、鞍手、遠賀が一望され、要塞の地であったことが想像されます。
 「猫城」の名の由来は、定かではありませんが、「猫が背を丸めた姿に見える」とか「敵が攻めてくれば高くなり、城より攻め下るときは低くなり、まるで猫のようだ」との言い伝えがあります。 中間市教育委員会 (案内板より)

これが、周囲に設けられた水路と、異常に長い階段の訳です。

つづく

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